自由に生きるために 政治家平智之さんの提案


⬆3/6(金)平智之さん(元衆議院議員)との対話会で。(平塚市紅谷町喫茶店シャポーにて)
●抗ガン剤で治療で学んだ「制度」の問題点

私は抗ガン剤治療を受けながら、次第にその限界と問題に気づきました。抗ガン剤治療は、残念ながら必ずしもそれで治癒するというものではありません。実際に多くの方が治療を受けても亡くなります。また、その強い副作用のために命を落とすリスクもあります。しかし問題はそこではありませんでした。
抗ガン剤治療は高額医療費助成制度で支えられています。これには多額の税投入がされています。おまけに、権威ある医師が、「抗ガン剤治療しないと死んじゃうよ」などと言うものだから、すっかりビビってしまいました。生き延びるために、なんとしても抗ガン剤を続けようとしました。処方してくれる医師にすがるようになりました。次第に抗ガン剤の副作用で歩くのもやっと、癌じゃなくて薬が原因で死ぬんじゃないかと思うくらい厳しい状態になっても、どうしていいか分からず、立ちすくむばかりでした。
癌治療の道は何も抗ガン剤治療だけではありません。代替療法も含めれば無限に選択肢はあります。けれども、怖くて、他の道を選べない。税で担保されオーソライズされた抗ガン剤治療という制度の枠組みに縛られていました。無力感に苛まれ孤独でした。これが、抗ガン剤とこれを裏打ちする医療制度の最大の問題点だと感じました。

 


⬆抗ガン剤治療をしていた頃 薬の副作用で顔がむくんでいる。2011年秋。
●制度が人を支配する 

私は、福祉や医療など社会保障に関わる制度はできるだけ充実させるべきだと考えて、政治活動をしてきました。しかし抗ガン剤治療の体験を経て、これは根本的に間違っていたと思いました。政治は細分化された制度をいくつも作り出し、それを政策と呼びます。しかし実のところ全く余計なことをしているんじゃないかと感じるようになりました。制度には、人をその枠組みの中にはめこみ、その人の本来の思いとは別に、その人を支配してしまうという問題点があります。制度にあわせて生きてしまうのです。たとえば、103万円の壁と言われる「配偶者控除」もこうした問題をはらんでいます。では、どうすればいいのだろう。政治は何をするべきかというのが、癌患者になってから思案してきた事です。

●制度=「枠」 枠をなくすことが自由に生きることを可能にする
そんななかで出会ったのが、平智之さんでした。平さんは、制度が持つこうした問題点を当たり前のように指摘し、そこに立脚した社会の在り方を提示されています。その一つがベーシックインカムです。ベーシックインカムは、収入の多寡や労働の意欲に関わらず、一律に国家がお金を給付するというものです。大人1人一ヶ月5万円、子ども2.5万円の支給が妥当で可能だとしています。目的は格差是正ではありません。これをもって社会保障諸制度をやめ、制度という「枠」を消すことで、制度による支配をやめることが大事だといいます。税金で担保された医療制度やその治療法に固執し、かえってそのことで苦しんだ癌患者の私には、その意義がよくわかります。
●月5万円無条件支給が自由を下支えする
しかし、これだけではありません。平さんはまた、無条件で国家がひとり一人にお金を支給することは、国家が国民の生存を承認することになるといいます。誰もがたとえどうであっても、生きていていい。そういう承認を与えることに意味があると言います。「ああ大丈夫なんだ」という腹の底にひっそり潜むような安心感を持てるようにすることが、人が自由に生きることを下支えする、というのです。私たちは、「大丈夫」という安心感をなんとか得ようと、恐怖に駆り立てられて賃労働をして生きています。それがために命を落とすことになったとしても、です。私はもちろんそうですが、なかなか「お金信奉者」から脱却できない。月5万円の無条件支給は、賃労働以外の安心感を生み出し、労働の意味を変えていくと平さんは言います。

●トーク@喫茶シャポー「福祉とベーシックインカム」の録画アップの予定
過日、
平塚市紅谷町の老舗喫茶店シャポーで開催した平さんとの対話会は実に学びの多い会でした。​平さんの姿勢に触発されて、そもそも人間とはどういうものか?社会はどうあるべきか?そのために政治は何をするべきか?をみなで議論しました。対話会の結びに平さんは「私は政治家です。思想家でも学者でもありません。ともに対話を重ねながら、民主的に社会の在り方を変えていきたい」と話されました。私はとても感銘を受けました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。
この時の様子が
もうすぐ録画がネット上でアップされることになっています。アップされましたらまたブログでご案内しますのでどうぞご覧ください。