戦争はしたくない そのために


⬆ 後援会長だった故・矢口仁也氏と (2007年撮影)
●日本軍の伝統的ないじめ
長いこと私の後援会長をつとめてくださった故・矢口仁也さんは、京大で哲学を専攻していましたが、戦争に駆り出されます。学徒出陣一期生でした。生前矢口氏は、「戦争ってのは、靴を舐めろ!と上官に命じられ実際に靴を舐めたら、俺をなめてんのかと殴られる、そういうものだ」と言っていました。戦争は人を殺し、殺されなくとも人生を奪われる。そう感じた一言でした。屈辱と差別と暴力にさらされると、誰もが人間性を破壊されるのだと思います。人間性を壊して、人殺しできる兵隊にする。「靴を舐めろ」と命令し舐めたら殴る、こうした伝統的な日本軍のいじめは、人間性破壊のために「生きた」んではないか、と思います。
●自身の加害責任を認め、政府の戦争責任を求めて
戦後、矢口氏は、高校の先生になりました。2012年12月に89歳で亡くなるまで、その人生をかけて戦争責任を政府に認めさせようと、力を尽くしました。中国東方地方ハルビンにある731部隊跡地を世界遺産に!という活動もし、ついに中国政府はこれを世界遺産候補に認定しています。また、2011年には、731部隊跡地に「謝罪と不戦平和の碑」を建てています。 しかし、実のところ、私は、なぜそんなに戦争責任を背負いこむのか、重荷を抱えすぎではないかと感じていました。80歳を過ぎた矢口氏が、衆議院議員の阿部知子氏と一緒にパブアニューギニアの山奥に旧日本軍のご遺骨を拾いに行くから一緒に行かないかと何度も誘われましたが、断って行きませんでした。帰国後すぐに「帰ったよー、一杯やろうか」と誘われて居酒屋で飲んだときに、ヘルメットをかぶったまま熱帯の奥地で眠っていたたくさんのご遺骨の写真を見せてもらいました。内心行かなくてよかったと思ったものでした。
●「目の前にいる人と真心で語り合う それが戦争を防ぐ唯一の道だ」
矢口氏の忘れられない言葉があります。「今の社会情勢をつくっている原因は、私たち市民にある」と言いました。そして、「今こそ私たちは、権力に依存しないで、自分の目で見て頭で考えたことを、目の前にいる人と率直に語り合うことが必要だ。一人ひとりが自らの思いを真心で語り合う。それが私たち市民の仕事で、戦争を防ぐ唯一の道だ」と言いました。憲法改正について、集団的自衛権の問題について、考えを異にする同僚の市議会議員たちの顔が目に浮かびました。なんと厳しいことを言うのだろうと思いました。これが矢口氏との最後のやりとりになりました。この二日後、矢口氏は脳幹出血が原因で急逝されました。
●戦争は、「私」がつくる

このブログにも何度か書いていますが、私はがんになって医者任せに治療していたわけですが、抗がん剤で死にかけて、やめました。”医者任せ治療”をやめてから、私自身が生活習慣病のがんをつくった、と考えるようになり、がんをつくるまでにとっ散らかった人生に向き合うようになりました。そうしないと必ずがんは再発し死んでしまうと考えたからです。この経験を通じて、自分が問題の当事者であると考えることがいかに大事か、ようやく分かるようになりました。矢口氏は、もう二度と戦争を繰り返すことのないよう、戦争を引き起こした当事者の一人として生き、その延長線上に政府に戦争責任を求めたんだと思います。結局、戦争は私たち一人ひとりがつくる、そう考えていたんだ、と分かるようになりました。
今晩、官邸前では、集団的自衛権閣議決定に反対した抗議行動が行われています。私は官邸前には行けませんでしたが、以下のフォームから意見を送りたいと思います。よろしければみなさんも、ぜひ。

●首相官邸HPご意見フォーム:https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html