体調すら良くなる読書会 

昨年12月開かれた報道記者の鳥賀陽弘道さんがコーチ役をつとめる読書会(どなたでも参加可能。参加費1500円。会場は豊洲駅前のシビックセンター)に参加しました。課題図書は「日本海軍の戦略発想」千早正隆著。著者は連合艦隊参謀だった人で、その彼が、なぜ日本海軍は敗れたかを仔細に語った本です。

 

この本は、「戦略発想」なんていうタイトルですが、いかに日本軍が無策で根性論で戦おうとしたかを語った本です。これがまた今の日本社会によく似てる。原発事故の後始末の仕方にまで似たものがある。というのが鳥賀陽さんの指摘。

 

鳥賀陽さんの話を聞くと、こっちまで頭良くなったみたいな気持ちになる。なんとなく不安に思っていた問題の構造が理解できるようになるからだと思う。頭がスッキリする。私なんて体調すらよくなりました。鳥賀陽さんの読書会のような内容を中学生の頃に聴いていたら、私の人生が変わっていたかもしれないな。若いうちに世界に目が向く。鳥賀陽さんの話の概要を私なりにメモ。

 

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今の日本の官僚組織は、実は日本軍の組織構造のパクリなんだという。キャリア/ノンキャリ区分は、将校/兵士と二分化した日本軍を真似たもの。別に実力とか能力とかで区分しているんじゃない。単なる教育出自で分ける。大卒、院卒なら=将校、中卒以下なら=兵士といったふうに。そう平塚市役所もそう。高卒だと採用しない。問題だと思う。当然ながら教育出自だけで区分した組織は硬直化する。合理化するという発想がない。非効率的。戦争は勝つことが目的なはずなのに、目的が目的にならなくなる。

 

典型的なのは、日本軍にもレーダーの技術はあったにもかかわらず使わなかったこと。その理由がふるっている。レーダー採用したら素晴らしい動体視力を持つ兵士の仕事奪っちゃっうので、できない。でもそこは戦場だ。いくら鳥みたいに視力を鍛えた兵士がひとりいても、弾がピューンとあたったら終わり。後がない。一事が万事この調子だった。でも日本軍だけを笑えない。現代日本もそんな感じ。JRの切符切りのおじさんが自動改札に変わったときも、たしかそんな世論だったのでは。高速道路のETC化もそう。

 

対するアメリカは、いかに技術を平準化させるかを考える。これを「能力の民社化」という。誰でも技術にアクセスできるようにするという意味で、「民主化」。大量生産の「Ford ism フォーディズム」は、技術の民主化という発想のもとで産まれたもの。ベルトコンベアを使い、文字記録に残しマニュアル化する。誰でも生産に参加できるようにする。日本軍とは対象的だ。今なお、職人魂が賞賛の対象になる現代日本社会の風潮とも対象的だ。

 

それにしても日本軍は戦いをやめることすら出来なかった。せめてあと1年早くやめていたらよかったのに。終戦の一年前といえば1944年夏。44年夏、サイパン島が陥落した時点で、完全に制空権は奪われたのだから、あの時やめていたら、名古屋も東京も焼け野原にならなかった。沖縄戦も特攻隊も原爆投下もなかった。加えて平塚大空襲だってなかったのだ。 戦争で死んだ日本人の死者の9割が1944年夏から終戦までの一年に集中しているという話は案外知られていませんね、と鳥賀陽さん。知りませんでした。あれだけ凄惨な原発事故を起こしておきながらなお再稼働の声が大きい昨今の姿は、戦争を止めることすら出来なかった日本軍と丸かぶり。

 

ぞっ。 ゾゾゾゾ。次回の鳥賀陽弘道さんの読書会は2月28日(火)の夕方6時から。詳しくはこちらのページでご確認ください。