立場主義が引き起こす戦争

⬆2011年統一地方選挙時 当選の速報を受けて、矢口仁也さんが挨拶してくれた

●学徒出陣1期生だった後援会長

私の後援会長をつとめてくださっていた矢口仁也さんが急逝されてから9ヶ月経ちました。享年89。矢口仁也さんは学徒出陣の一期生として、20歳の時にフィリピンに出兵しています。戦後復学し、卒業後は高校で教鞭をとられました。退職後は、日本政府の戦争責任を追及する活動を続けてきていました。特に力を入れていたのが、中国東北地方の毒ガス遺棄問題の調査と中国黒竜江省ハルビン郊外にある731部隊旧跡の世界遺産登録を求める活動です(中国大使館のHPにも矢口さんの活動が紹介されています)。亡くなった昨年12月にも黒竜江省に出向いていました。誰よりもエネルギッシュな方で、多くの人に慕われていました。

●「空気」は読まない人

昨年12月にお亡くなりになる2日前に矢口さんは、「自分の思っていることは本当は何なのか常に考えて、相手が誰であろうとも自分の考えを正直に伝え合う、そのことだけが戦争を回避する道だ」と話しをしていました。このことは、矢口さんが生前、繰り返し仰っていたことでもありました。思えば、矢口さんは空気を読まない人でした。たとえばどなたかのお祝いの席で乾杯の音頭をとマイクがまわってきた時も、拳に力を入れてつどの政治状況の何が問題だと感じるか話しをしていました。「矢口さんは万年青年だからね」など冗談混じりに言う人もありましたがもちろんそうではありません。矢口さんは、たとえ相手が自分とはまったく異なる意見を持っていたとしても真剣に真心込めて話しをしていました。

●原発事故を引き起こした「立場主義」

私たちは矢口さんの真逆をやってしまいがちです。一生懸命に空気を読んでその場にふさわしいことを立場に即して言ってしまう。他人に何を言われるかばかり気にして、自分で発言に規制をかける。大人であれば、明日の仕事を確保し家族を養うために、本心を隠したり、不正を無かった事にするのは、ままあることだと思います。しかしそれは考えることをやめた手抜きで、その積み重ねが経済至上主義のなかで命を脅かす原発を国中に54基も作り続け、福島第一原子力発電所の事故を起こしてしまいました。

●「立場主義」が引き起こす戦争

放射能をまき散らす深刻な事故まで引き起こした「立場主義」は、何も原子力村だけの話しではありません。私たちの、私の問題です。妻の立場、嫁としての立場、市議会議員としての立場…。立場に縛られて自分の直感や情動に蓋をし押さえ込み、本心とは異なることを口にしたり押し黙ったりすれば、「立場主義社会」の暴走に加担してしまうことになります。そういうことが日本中で積もり積もった結果、かの大戦は起きたのだと思います。

●矢口さんは、生きた哲学者だった

戦後、矢口さんは京都大学に復学しますが、そのころは「一億総懺悔」という状況だったと話しをされていました。一億総懺悔とは、「天皇のために尽くさなかった。そのために敗戦になった。だから天皇に国民全員でわびる」という意味だったそうです。 日本国政府は、アジア諸国を侵略した自国の加害責任を問うことなく、『もはや戦後ではない』と喧伝し、経済発展をひたすら追い求めあげくのはてに原発事故まで引き起こしてしまった。そしてまたその事故の責任は誰もとらない。矢口さんは被災地・福島に足を運び政府の対策の遅れに憤っておられましたが、同時に、今のこうした状況の背景にある問題を政府にだけ見るのではなく、私たちにひとり一人に蔓延する「立場主義」に見ていて、だからこそ自分の本心を正直に伝え合うことの大切さを繰り返し説いていたんだと思います。矢口さんは、もう二度と戦争をしないという強い意思を持った生きた哲学者だったと思います。(ひろば400号記念特集号掲載したものを改訂しました)