「まな板鯉」脱出作戦、開始

 東日本大震災から2年が経ちました。この国のすべての人がこれまでにないいろんな思いを抱えた2年だったと思います。私は震災後すぐに乳がん手術をしたので、もうすぐ術後2年になります。
私の乳がんは、トリプルネガティブというタイプで、胸骨のリンパ節に転移していました。がん細胞の核異型度グレード3、Ki-67は90パーセント以上。なかなか渋い感じでした。そこで、全摘手術をしたあと、一年近く抗がん剤治療(タキソール、アブラキサン、エピルビシン)を使い、かつ放射線治療も受けました。いわゆる三大療法のフルコースを体験しました。
かなり張り切って走り始めたフルコースでしたが、治療最終版にさしかかったところで抗がん剤治療をやめました。エピルビシンがキードラックのFECを6回やるところ、4回でストップ。体力的にどうしてもやり続けられなかったというのもありますが、「もういかん、やめねば」と身体が言ってきた。と思った。その後、主治医からは飲む抗がん剤の使用をすすめていただきましたが、辞退しました。
抗がん剤治療中は、薬の副作用で強い吐き気や倦怠感、白血球の急減に伴う発熱に悩んだ私でしたが、この薬の最大の副作用は、《まな板の鯉的な気分になること》だと思います。私の場合、各抗がん剤投与によっていかに10年生存率があがるか、主治医の先生が電卓打ちながら説明してくださるのを聞いた瞬間、すっかり《まな板鯉》になった、と思う。ころっ、と。医師や医療にすがる気持ちが強くなりました。主治医の先生が入院ベッドを回診してくださるときには、猛烈に調子悪いのにベッドの上で正座して待っていたのを今でも思い出します。文字どうり身も心もすっかり医師と医療に預けてしまう《まな板鯉》の私がいました。
生き死にかかった大事な時期に《まな板鯉》はきつかった。無力感に悩まされましたが、そのうちにがんは生活習慣病だと知りました。がんをつくったのは他ならぬ自分なのだから、自分の生活習慣に向き合おうと思えるようになりました。手始めに早寝早起き生活に切り替え、玄米菜食に変えました。八方美人であれここれも引き受けるので仕事が膨らんでしまう、そんなストレスフルな暮らしはもうやめようと決意しました。術後2年、目下、まな板からの脱出作戦実行中です。

↑ 抗がん剤治療中だったころ