癌にならない社会を
2011年東日本大震災の直前に35歳で乳癌がわかった私にとって、この4年間は、「なぜ癌をつくったのか、それを手放すにはどうしたらいいか」を考える時間でもありました。国は癌を生活習慣病だと位置づけています。ならば、自分で治せるはずだと考えるようになりました。癌にならない身体づくりをすすめるうちに感じたのは、心が不安でいびつな状態であったにも関わらず、これに気付かないフリをしてきたことが、身体を疲れさせ蝕んでいった、ということでした。
 人は傷つけられたときに、その痛みや傷に蓋をし、回避しようとすることがあります。私はハラスメントや暴力を受けても、それをのみこみ隠蔽して生きてきたことに気づきました。そしてこの隠蔽・内在化が私の癌の原因だと思い至ります。ハラスメントや暴力に満ちた人生は、混乱した社会と親和性が高く、またそれを必要とさえします。これはとても恐ろしい気づきでした。
 2014年秋に起きた平塚市営のプールで起きた溺死事故に象徴されるように、市民の命は実に祖末に扱われています。平塚市は事故原因の客観的な検証すらせず、その責任を曖昧にしています。これは役所という組織が持つ根本的病理です。この理不尽に怒り、放置しないことが、政治家に求められている最低限の条件だと感じます。私は、癌をつくった自分の病理に向き合ってきたことで、一見分かりにくい公権力の暴力性に立ちむかう勇気を持つことができるようになりました。
 都合が悪いことを隠さないこと。いたずらにルールや制度をつくり、人を支配しないこと。こうしたことをモットーに、すべての人がその生をまっとうできる社会をつくりたい、そう思います。
 とりわけ、今求められているのは、すべての子どもたちが健やかに育つ環境をつくることです。命の核となる魂をいかに育むか。田畑や海や山がある平塚の風土を生かして、そうした場をみなさまとつくっていきたいと思います。「癌にならない社会」を。一緒につくっていきましょう。【2015年4月記】